2005年のボルドーに関するブラッチ報告書[その1]

 〜ぶどうの樹の育成状況・前編〜

これから4回にかけて2005年のボルドーのぶどうの樹や仕上がったワインについての報告書を転載していく第一回目は2005年のボルドーに関するブラッチ報告書[その1]〜ぶどうの樹の育成状況前編〜です。この報告書は、ワインのネゴシアンとして世界的にも名高VINTEX社の社長、ビル・ブラッチ氏によるもので、毎年のヴィンテージレポートはその情報量から最も詳細な報告書として業界の中で高い評価を得ています。その報告書を一部ではありますが、ご紹介いたします。皆さんもこれをご覧頂き、2005年のボルドーとブラッチ報告書に価値を見出していただければと思います。
※ブラッチ氏が特に重要視している点は太字で表記しております。

■年間の降水スケジュールを通して

これは仮定の話だが、毎年が2005年のようなヴィンテージであったなら、それはそれでボルドーはよしとしてしまうかもしれない。2005年は、まぎれもなく偉大な年だった。扱いの難しさもなければ、厄介な問題も引き起こさない。永遠に続くかのような好天が最後まで続き、それがワインに希有な凝縮感を与えることとなった。オーナーたちの一様ににこやかな表情は、セラーにあるワインが特別なワインに他ならないことを教えてくれる。

しかしながら、懸念がなかったわけではない。その最たるものは、降水不足であろう。2004年11月4日から2005年10月5日までに計測した月別降水量の合計は、過去30年間の平均降水量よりもなんと48%も少なかったのである。

【2005年シーズンの月別降水量と気温】

日付
2004/5年月別降水量(単位:mm) 月別平均降水量 (単位:mm) 平年差 2004/5年月別平均気温平年差
11/04 11.2 106.8 -91% -0.6℃
12/04 68.0 106.7 -36% -0.9℃
01/05 32.2 92.0 -65% +0.5℃
02/05 38.4 82.6 -53% -2.7℃
03/05 38.2 70.0 -45% +0.2℃
04/05 90.4 80.0 +13% +1.5℃
05/05 16.2 83.8 -81% +1.7℃
06/05 32.2 63.8 -49% +2.7℃
07/05 20.0 54.5 -63% +1.5℃
08/05 14.4 59.5 -76% +0.3℃
09/05 56.2 90.3 -38% +0.5℃
10/05 55.2 94.0 -41% +3.0℃
合計 472.6mm 984.0mm -48% +0.6℃

とはいえ、ぶどうの樹が実質的に生長を止めてしまった例はほとんどなく、一般に生長停止に起因するとされる、いくらかジャミーな香りを放つ発酵槽も、結局はほとんど見受けられなかった。どうやら、樹は水不足に慣れてしまったらしい。これほど乾燥した年になっても、樹はもうそれに驚くことはない。要するに2003年の春以来、長期的な渇水状態に置かれていた樹は、2005年シーズンに入る頃にもなると、乾燥した土壌に順応してしまった。季節を重ねるごとに土はますます乾燥し、すると樹は養分を求めてその旺盛な根を下層土にまで伸ばすことで、乾燥状態にますます適応できるようになる。それに加えてこのような状況下では、ごく少量のにわか雨が時を得て降りさえすれば、樹の生長過程の要所要所において、十分に樹を活性化することは可能である。まるで注文に応じてくれたかのように、にわか雨がまさに時を得て降った。4月のにわか雨は芽吹きを、5月21日から22日のわずかな雨は開花を、7月27日から28日のそれはヴェレゾン(ぶどうの色づき)を、9月8日から12日にはメルロの完熟に仕上げを、そして25日にはカベルネを、そして8月中・下旬にソーテルヌに降ったにわか雨は、ボトリティス菌の出現を促した。

ぶどうの樹のサイクルに目を移すと、芽吹きこそ遅れたものの、開花の頃になると樹は遅れを取り戻していた。2000年並の短いハング・タイムになるだろうと誰もが予想していたちょうどその頃に、乾燥し極端に暑くはない平年並みの長い夏が、まばらで果皮の厚い果粒をつけた小振りの果房を紡ぎ出していた。それらのぶどうは穏やかに、そしてゆっくりと成熟し、凝縮度を高めていった。その結果、ハング・タイムは平年並みか、最終的には平年よりも若干長く続いた場合もあった。

もっとも懸念されたのは、遅かれ早かれ雨が降り出し、同じように極端に乾燥していた(しかし暑い)1976年に起こったように、土砂降りの中で収穫が始まり、ぶどうがふやけて割れ、腐ってしまうことであった。最終的には望外な方向に物事は運び、長く乾燥した夏が長く乾燥した秋へとそのまま移行すると、今まででもっとも長期にわたる呑気な収穫の季節が訪れた。

2005年は非常に乾燥した年ではあったが、桁外れに暑かったわけではなく、平均気温で平年を0.6℃上回ったに過ぎない(上記の表を参照のこと)。春と初夏はおおむね平均を1.5-2℃上回り、8月、9月は若干高めに推移した。猛暑になったのは、ちょうど成長期のはじめと成長期の終わりに当たる6月と10月だけで、前者はぶどうに迅速なスタートを促し、後者は赤ぶどうの収穫に最後の仕上げを施し、ソーテルヌには最後のボトリティス菌を発生させた。

2005年は上記のように完璧かつ一貫して温暖な、ストレス知らずの天候を享受できた一方で、やはり上記のような極端な渇水という条件下にもあった。この年のふたつの正反対な特徴が、ふたつの特徴を同じように併せ持ったワインを造り上げた。極端に凝縮感がありながら途方もなくタニックで、非常にリッチでありながら、実に生気に溢れ、重厚でありながらも、フレッシュな風味がある。最上級のドライな白ワインには躍動感溢れる柔らかさがある一方、ソーテルヌは恐ろしいまでにリッチでパワフルなのに、見事なまでにフレッシュだ。

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■2004〜'05年冬

前年も終わりに近づいた頃、つまり雨の非常に多かった10月下旬に収穫を終えて、長く乾燥した秋が佳境に入ったあたりから、ここでは話をはじめることにしよう。10月の雨は、4月の雨を別にすると最後のまとまった雨となった。それから13ヶ月後の翌年11月に入るまで、まとまった雨は降ることはなかった。10月後の冬の数ヶ月間は、大西洋東部に居座っていた高気圧が、雨を降らせる低気圧を寄せ付けなかったため、相変わらずの乾燥が続いていた。前年にはこの高気圧がより海上に中心をおいていたために、地中海の空気が南東方向からボルドーに向かって吹き込み、その結果暖冬となっている。今年は高気圧がより東に中心をおき、しばしば南ヨーロッパにまで張り出していたために、冷たい北東風がボルドー地方に吹き込んだ。この年初霜が降りたのは、いつもより二ヶ月遅れのクリスマスの頃だったが、霜は通常よりも厚く、長期間にわたって続くこととなった。12月の降霜日数は4日だけだったが(平年は7日)、1月は8日(平年8日)、2月は9日(平年7日)、そして3月は9日(平年4日)であった。

温暖な大西洋気候によって、何度か寒さがゆるむこともあり、中でも2月11日から13日にかけて寒さがゆるんだときには、樹液があまりにもはやく動き出してしまうのではないかという、いつもの心配が頭をもたげた。しかしその直後、2月16日から3月11日まで長く凍てつく日々が続き、わけても2月28日から3月2日にかけて、−8℃の中で降りたひどい霜は、樹をまったくの休眠状態に保ってくれた。

ほとんどの剪定作業は、この頃までに完璧な条件下で終了していた。12月まで葉をつけていたことからも分かるように、かなり遅くまで樹液が動いてはいたものの、誰もが前年までの樹の状態に満足していた。このように霜の被害が最小限にとどまったため、かなり遅目に剪定することも(霜対策の一種)前年に比べて多くはなかったが、剪定をあえて引き延ばした場合には、3月半ばに気温が急激に上昇した際に、大急ぎで作業を終えなければならなかった。

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■春、発芽、そして初期の生長

長い寒さが終わりに近づく3月の中旬、フランス中が一斉に動き出した頃に、春は突然やって来た。3月14日に降ったにわか雨に、異常な暑さを伴う晴天が一週間続き、20日の日曜日に気温が26.8℃にまで上昇、1981年3月の暑さの記録を破る勢いだった。春のテイスティングのために人々が押しかけてくる前に休暇をとっておこうと、ボルドー中がこぞって週末の海辺に繰り出した。

しかしその頃のぶどう畑では、この暑さにもかかわらず、樹液が動き出すことも滴り落ちることもなかった。樹は芽吹きを拒否し、厳寒と完全な湿度不足のために、いまだに冬の状態にこもったままだった。3月末に待望のにわか雨が降り、その一週間後、あるいは二週間後になるまで、発芽が始まることはなかった。樹のサイクルが遅れてスタートしたことが、2005年のボルドーを、89年あるいは90年といった非常に早いスタートを切ったヴィンテージとは異なるスタイルに仕上げている。

4月はどちらかといえば暖かい一ヶ月だった。またかなり雨も多く、実際この1年で唯一平均降水量を上回る月だった。まずは芽吹きが迅速に始まり、おしなべて8日までには二葉目が芽吹いた。しかしまたもやすべてをスピードダウンさせた寒い夜が続き、21日の段階では、メルロですらいまだ4センチほどの伸びしか見せていなかった。すべてがとてももどかしかった。すでに後れをとっているというのに、これではますます後れをとってしまう。

その後、4月22日から4日間激しい雨が続いたかと思うと、次の一週間は暑い太陽が照りつけ、気温は28℃まで上昇した。この時期には、もう樹は躊躇するとこはなかった。特に左岸に比べて降水量が多かった右岸、ソーテルヌ、アントル・ドゥー・メールでは、5月の第一週に駆け足で生長が進んでいった。

するとあっという間に幼果が現れた。果房の数が概して多かったため(02年と03年の二回にわたる不作を、樹はいまだに埋め合わせてはいなかった)、多くの栽培家がこの時期に余分な房を取り除いた。しかしながら前年よりも副芽の数は少なく、そのことが芽欠きの作業をかなり容易にしてくれた。2004年の長めな房と違って、中ぶりのかなり短い房で、その稚ぶどうはすでにこの時点で普通よりも小さく、04年と同じように実付きはまばらであった。来るべき夏の乾燥を考えると、このまま変化することはないだろうと思われた。

暖かく非常に乾燥した日々は、5月に入っても続いた。最初の開花の兆候に気づいた5月23日頃になると、遅れはある程度取り戻せていた。

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■初夏と開花

最後まで残った遅れも、5月終盤の数日間、突然の桁外れな酷暑のうちに取り戻すことができた。27日、寒暖計は33.4℃にまで上昇し、1922年の5月の記録に迫る勢いとなった。4月の降雨にこの突然の暑さが結びつき、いたるところで開花が始まり、安定して暖かかった6月初旬の日々に、記録的な早さで開花は終了した。

初めのうちこそ、それは完璧な開花に思えた。若木も古木も、メルロもカベルネも、質の良いクローンもそれほどでもないものも、すべてが数日間のうちに開花した。それに続く2週間に多少の花ぶるいが発生し、結実不良が結局すべての品種に現れたが、いつものようにそれはメルロに顕著だった。おそらくは、あまりに突然の酷暑が開花直前に襲ったからか、あるいは6月初旬の暑かった日を通じて夜があまりに涼しかったか、あるいはこうした暑さがもたらした蒸発効果と結びついた乾燥が、このような急激な開花をサポートするために十分なエネルギーを樹に与えなかったからかもしれない。いずれにしても、ほとんどの房から果粒が落ち、またその後も次々と落ちていくので、05年のヴィンテージが豊作にならないことは、もはや確実だった。まだ多くの房が残っていたが、そのひとつひとつに果粒は少なく、収量調整の必要性は差し迫った問題ではなくなった。

そして一ヶ月を通じて太陽が照りつけ、平均気温は22℃を記録、2003年(23.1℃)以来の暑い6月となり、1976年(21.3℃)をも凌ぐこととなった。しかしながら、草原がサバンナに姿を変え、木々の葉が干からび、ボルドーの新しい市電網が6月末の乾燥した猛暑の一日にダウンしてしまった中(なんとVinexpo開催中)、黄色や茶色の真ん中で、緑濃く旺盛に葉を茂らせたオアシスに姿を変えたぶどうの樹々は、明らかに極端な条件を楽しんでいるようだった。

冬の少雨で下層土がすでに乾燥していたために、すべてが乾ききった中でも、根はゆっくりと養分を吸い上げればいいだけだったから、というのがこの現象を説明してくれるのかもしれない。それに反して1976年の場合、暑さと乾燥という同様な条件が突然整ったものの、土の中の過剰な水分が災いして、根がもがき苦しむことになったのである。

こうした乾燥に伴う大きなアドバンテージのひとつは、薬剤の散布を最小限に押さえることができる点にある。シーズンはじめの小規模なベト病の発生と、ハマキガ類(cochylis、eudemis)の第一次発生に始まった、危険な5月のぶどう寄生虫を別にすると(現在では、多くの栽培家が薬剤散布よりも交尾阻害という方法でこれと戦っている(フランス人は“セクシャル・コンフュージョン”という呼び方を好む)。他にこれといった脅威は存在しなかった。ウドンコ病は深刻化せず、それに続くぶどう寄生虫の発生も無害なものだった。したがってこの年、栽培家たちにとっては、いつもの半分以下の散布で十分事足りた。もちろんこれは畑のエコロジー(そしてエコノミー)の観点からもすぐれたことで、ソーテルヌにとっては、特に好ましいことだった。ソーテルヌの場合、ボトリティス菌の繁殖に影響を与える自然界の微生物すべてが、まったくもって野放しとなる可能性すらあるからだ。そしてこのことが、収穫期に発生したボトリティス菌の完璧なまでの純粋さを、ある程度説明してくれるだろう。

結局その6月、25℃を超える日は21日(平年は10.1日、1921年に記録した25日にはかなわなかった)、30℃を越える日は10日を数えることとなった(平年は2.9日で、それを越えるのは15日を記録した1976年だけ)。合計日照時間は270時間(平年比20%増)、日中最高気温は平均をゆうに4.6℃も上回り、降水量は少雨だった1947年6月を下回っていた。このような責め苦に、樹はあとどれほど耐えられたことだろう。

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さて、ブラッチ報告書〜ぶどうの樹の育成状況・前編〜 如何でしたでしょうか?気象データからは2005年は比較的に暖かく乾燥の年でしたね。そして、いくら樹に耐性が出来たとはいえ、乾燥がこれ以上続くのか…今後の状況は気になります。是非、後編もお楽しみに!

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