2005年のボルドーに関するブラッチ報告書[その2]

〜ぶどうの樹の育成状況・後編〜

2005年のボルドーに関するブラッチ報告書[その2]〜ぶどうの樹の育成状況・後編〜です。
ヴェレゾン(ぶどうが色づくこと)が始まる夏から、秋のぶどうの収穫までのレポートです。いよいよ、ぶどうにとっての一年も終わりを告げ、ブラッチ氏が絶賛を贈るヴィンテージに神がかったような「理想の瞬間」の連続が、各品種に訪れます。収穫の最後までをお楽しみ下さい!

■盛夏:7〜8月

うれしいことに、樹はそのような耐性テストを受けずにすんだ。7月は暑く非常に乾燥した日が続いたが、それほど極端な暑さというわけではなかった。7月の猛暑の被害を受けた気の毒なアメリカ東海岸の友人たちとちがって、本当に暑い日の数は平均をわずかに上回る程度だった。しかしながら、日照時間は平均を20%も上回り ― 2005年は暑さよりも日照を特徴とする年となるはず ― 、二度にわたる散発的で小規模な嵐を除くと、降水量は相変わらずゼロだった。

暑く乾燥した年には雷雨の危険が付き物で、2005年もまたその例外ではなかった。すでに5月13日には激しい雷雨がモンバジャックを襲い、500ヘクタール分の収穫を台無しにし、その二日後の晩にはビュゼの400ヘクタールが被害を受けた。そしてまた6月25日にも激しい嵐がメドックを襲ったが、土砂降りの雨を降らせただけで終わったのは幸運だった。ひょうを伴う激しい嵐が、2003年6月と同じようなコースをたどり、まずはアルカシオンを通過したが、すんでの所で森林地帯のほうに向きを変えてくれた。グラーヴ、アントル・ドゥー・メール、ソーテルヌそして右岸の多くの人にとっては、まさに危機一髪の状態だったが、被害は最小限にとどまった。また7月2日から4日には、大規模な嵐がサン・テミリオンにひょうを降らせ(同日その気圧配置が上空を移動して、北ヨーロッパの友人たちの生活を大混乱に陥れたのである)、28日にも、北メドックでは豪雨を降らせただけの嵐が、サン・テミリオンでは再びひょうを降らせた(斜面とそれに隣接する台地にある畑では、約10%がひょうの被害を受けた)。

これらの嵐全部をひっくるめても、2003年のものほど激しくはなく、被害の調査よりも重要なのは、それらがもたらした降雨の地理的な違いを見極めることだった。なぜならこの年には、こうした雨がぶどうの樹にとってほとんど唯一の水源であったからだ。7月の嵐はメドック北部に25mmの雨を降らせたが、右岸、グラーヴ、メドック南部にはほとんど降雨がなく、それらの地区で早めにぶどうが凝縮し、少なめのジュース、厚い果皮、高い酸が形成された理由を説明している。さらには、左岸に比べて右岸の収量が低かったことも、部分的にではあるが説明してくれるだろう。

8月に入ると17日の嵐が、右岸、グラーヴ、アントル・ドゥー・メールに25mmの雨を降らせたが、心から雨が待ち望まれていたメドック、中でもマルゴー村やメドック南部では、なんと一滴の雨も降らなかったのである。そんなわけで、8月25日の3時間にわずかな雨が降った時には、メドックの人々にはその幸運がとても信じられなかった。「何時間かちょっと雨が降ればよかったんです。それが降ってくれたんです」とは、あるポイヤックの栽培家の言葉である。

その間にも、“ヴェレゾン”は進んでいた。7月27日から28日かけての嵐に揺さぶられ、樹はすみやかにその果実の色を変えていった。開花時と同様、適時に降ったこの雨はヴェレゾンをおおむね速やかに進め、左岸よりも右岸でのほうが効率よかったといえなくもないが、多少のストレス疲れも引き起こしてしまったかもしれない。右岸の大部分では、8月3日から4日までにヴェレゾンが半ばに達し、メドックの大部分では10日前後に同様の状況となった。8月15日までには、すべてのぶどうが色を変え、たちまち美しく深い青色に色づいた。ここからぶどうは、その小さな果実を凝縮させていく。メルロ100粒の平均重量は、2004年の165ないし170グラムに比べて今年は130グラムで、糖度は急激に上昇した。

ほとんど雨の降らなかった翌月に入っても、極端な乾燥と照り続ける太陽が樹の成長を阻害するようなことは、依然として起こらなかった。8月に記録された降雨量は、わずかに14mmだった(平均は59mm)。しかし、黄色く色を変えた草や干上がった河床(川の水位は76年や47年よりも低かった)にもかかわらず、渇水ストレスの様相を呈した樹はほとんどなかった。軽い砂土壌に植えられた若い樹がその例外だったことは、葉が巻き上がり、夕方になると時として黄色みを帯びてくることから、容易に見て取れた。2003年の8月、20日間にわたる酷暑によって葉が完全に落ち、果実が焼かれ、全域の畑がひからびていった時とは大違いだ。そしてその後も、生気のない、あるいはへばったようなアロマを放つ発酵槽はほとんどなかったのである。1982年のように乾燥していてもさほど暑くない8月が、このようなことからヴィンテージを救ってくれた。そしてぶどうが徐々に熟した果実へと姿を変えていくヴェレゾン後のこの重要な時期には、夜の冷え込みがフレッシュさと酸を保つのに役立ってくれた。結局同月の最高気温は27.3℃と、平均をたった0.6℃上回るだけで、平均最低気温も平年を0.1℃だけ上回る15.1℃に落ち着いた。いっぽう30℃を超した日数はたったの7日で、これを平年の6日や2003年の20日に比べてみていただきたい。ここに至るまでは、多くの栽培家が03年との類似性を思い浮かべていた。この時点になるとこのような比較はなりを潜め、これ以降、03年と04年の中間くらいのものになるのではないかとささやかれた。凝縮感のある03年のヴィンテージと似てはいるが、もっとフレッシュで酸に富むものになるだろう、ということだ。

雨が降ったため、76年タイプになるだろうという話もそれほど出なくなった。7月下旬のにわか雨と8月の二度の嵐のために、果皮はちょっとした雨なら十分耐えられるほど柔軟になっていた。そんなわけで、鍵を握るであろう9月の秋分が、評判通りのにわか雨を降らせてくれれば、76年よりもむしろ95年のようなヴィンテージとなるチャンスの到来となるかもしれない。

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■9月、10月そして収穫

この頃までには、ペサック・レオニャンの白ぶどうの準備は整い、8月24日のオー・ブリオンでは、完熟した黄金色のソーヴィニョン少量の収穫が始まり、他のぶどうはそれに続く数日間、ドライの白ワイン用ぶどうの大部分に関しては、8月31日から9月1日にかけて一晩中降り続いたにわか雨が奏功して、9月5日からの理想的な条件の下に収穫が始まった。お天気続きの中で高気圧の勢力が弱まる中、9月8日から13日にかけて、低気圧が近づきにわか雨を降らせた。その時の雨はおおむねとても弱かったので、収穫は中断することなく続けられた。しかし42mmの降雨量をもたらしたその雨は、(またしても)メルロの収穫が本格的に始まるタイミングで降り注いだ。9月16日の金曜午後に降った少量の雨と25日の短時間の雷雨を別として(どのみち誰も収穫をしていなかった)、カベルネの収穫の最後の2日間に至るまで、まったく雨は降らなかった。ボルドーでは、収穫期を通じてのこれほどに規則的な好条件に恵まれることはまれで、すでにかなり前途洋々と期待されていたヴィンテージに、最後の完璧な仕上げをしてくれたのである。
来る日も来る日も太陽の光は一日中降り注ぎ、収穫は今までにないほどのんびりと順調に進んだ。成熟の進み具合は一貫して柔軟な広がりを見せていて、ペトリュスで最初のメルロを収穫したのが9月7日、パヴィでの最後の収穫は10月7日といった具合である。午前10時にはいまだ未熟、正午には熟すものの、午後2時には過熟となるという評判の品種にとって、これは一大事件だ。性急に摘み始める者には、完全な成熟を待つだけの辛抱が足りない、とは常日頃言われることだが、これはこの年の場合には必ずしも当てはまらない。2005年のシーズンはとてもやさしく緩やかに進み、最後の成熟プロセスも、特に9月17日から22日にかけて最後のきわめて涼しい夜によってスピードが落ちたために、非常にゆっくりとしたリズムで進んだといえるだろう。また長期間の乾燥は、異なる土壌ごとに異なる成熟プロセスをもたらした。軽い小石の土壌では、重い粘土あるいは石灰岩土壌よりも時間が長くかかったようである。何よりも好天が続いたために、誰ひとりとして急ぐ必要はなかった。収穫の計画は思いどおりに変更可能だし、望むなら、収穫人は週末を家で過ごすこともできた。

このような条件下、自分の畑を収穫するにあたり、誰もが理想の瞬間の到来を待つことができた。9月8日から12日以前のにわか雨、そして17日から22日に急襲した寒さ以前には、糖度こそ高かったものの、酸はおおむね非常に低いままだった。その寒さのあと、酸が実質的に再び上昇に転じ、このためすぐに収穫することをためらった者もかなりいた。そしてこの時期、果皮と果梗のフェノール類の熟度に関して議論が交わされた。このように乾燥した年には、ぶどうは完熟しているように見えても完全な状態とはいえず、乾燥した年だった89年のように、早めに収穫されたぶどうがワインの中に苦みを引き出してしまうことはないだろうか、といったような内容である。2005年はこのような夢のようなヴィンテージとなったので、わずかな間違いすら犯すまいと誰もが考えた。最終的には、柔軟な収穫計画を立てられたことで、ぶどうの熟度を計測した誰もが最高の数値に恵まれたし、あるいはどんな派に属する醸造家に助言を求めるかも自由に選択できたのである。早摘みの提唱者にしても遅摘みの提唱者にしても、その両派の間にさほどの意見の相違があることはなかったのだから。

メルロの収穫の大部分は、9月26日から最盛期に入り、カベルネ・フランもまた同じ時期に始まった。メルロの収穫と共に9月が終わり、カベルネの収穫が始まると、誰もが安堵のため息をついた。9月もまた、非常に乾燥した一ヶ月が続いた。降雨量は56mm(平年は90mm)で、その3分の2が2日間に集中している(9日と25日)。今一度、左岸以上に雨が待ち望まれていた右岸とソーテルヌで、図ったように雨が降り(右岸では収穫直前のメルロを勢いづかせ、ソーテルヌではボトリティスを活性化させた)、25日の雨はそのちょうど逆に降るといった具合だった(成熟を完成させるために、カベルネが雨を必要としていたその時に)。8月同様9月も、過度に暑くない温暖な気候だった。日中最高気温の平均は18.6℃(平年は18.1℃)で25℃を超えたのは11日(平年は11日)、30℃を越えたのは2日だけだった(平年は2日)。

10月最初の数日間は寒く、おおむね乾燥していた。そんな中で、遅摘みのメルロを収穫する生産者は収穫を終え、左岸のカベルネ生産者も収穫を終えていた。その頃もまた、この時期中央ヨーロッパに中心をおく高気圧から流れ込む北や東方向からの気流の影響で、寒い夜と暑い午後が続いていた。カベルネの収穫は一般的にこの気圧配置の元、晴天の朗らかな空の元で終了した。10月12日から18日になると、そんな気圧配置も弱まり、雨を降らせる前線が発達したので、カベルネ収穫の最後の二日間は理想的とはいえない。しかしながら、夜通し雨が降ったものの、日中の条件はそれほど悪くはなかった。9月の終わりにカベルネの収穫を終えていたメドックの生産者の一部は ― 彼らだけではなかったが ― 、なぜこんなに長いあいだ収穫を待っている人がいるのか、理解に苦しんだ。ソーテルヌはその雨が降った頃にはすでに二度目と三度目の収穫を終えていて、ボトリティス菌がなくなった畑では、繁殖の再開を待つことも可能だった。

赤ぶどうの収穫は今やつつがなく進行し、大部分のソーテルヌは10月初旬の二度目の摘み取りの際に収穫され、10月の後半になってもまだ暖かさが続いていた。南側をイタリア方面に動いていったアフリカとスペインの高気圧からの影響で、10月最後の10日間は1921年以来の記録的な暑さになった。この乾燥した空気が、非常に涼しい夜のあとに朝霧を発生させ、午後の暑い太陽はソーテルヌの条件に理想的で、三度目、四度目、中には五度目の収穫を行ったところもある。ほとんどが10月28日までに収穫を終えていたが、一部の生産者は、11月に入っても、とりわけ11月3日夜の豪雨のあとに、日中の好天と夜間の冷え込みが訪れたときまで収穫を続けていた。

このようにして、教科書通りに理想的なボルドーの収穫期が終わった。太陽はほぼ一貫して照り続け、乾燥した暑い一年間の終わり、最後の仕上げを必要とする適時適所に、にわか雨が降ったのだった。そしてその一年を通してそこで降ったわずかな雨は、樹のサイクルの中で要となる時期の直前に降っていた。これ以上、何を望めるというのだろう。乾燥を嘆いた者も一部にはいたが、望みうるほとんど完璧な一年だった。そこで、平均以下のワインを造った生産者がいたとしたら、その責任はすべて自分たちにある。凡庸なワインを造ってしまった生産者がいたら、整列させて銃殺刑にしたほうがいい。

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それにしても、ブラッチ氏の熱が入った過激な文章にびっくりしてしまいました!これもワインを愛しているからこそなのでしょう。ブラッチ氏をそこまでいわしめる「凡庸になりようのない」2005年のボルドーとは一体どんなものなのでしょう? さて、今回のブラッチ報告書で「ぶどうの樹」に関しては終りとなりまして、次回からはいよいよボルドーの実際に迫る「ワインについて」のレポートになります。それでは、第3回目をお楽しみに!

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